石尊 阿夫利神社(印西市)へ 不思議な青い石伝説

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”その者、蒼き衣を纏いて金色の野に降りたつべし…”

風の谷のナウシカの一節、
ご存知の方も多いかと。

ところでこれによく似た伝説の残る神社が千葉県印西市にあるのをご存知でしょうか。
その名を「石尊阿夫利神社」といいます。

・・・まぁ立ったのは夢枕にで金色の野には降り立っていませんし、
現れたのも二人の翁で美少女ですらなかったようですが。(残念!)

ん?てことは青い衣しか合ってない?

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石尊 阿夫利神社の由来

明和元年、海上郡銚子海底より青石二個取上しに、其の石往々奇怪のことあり。其の土地に於て、住民之を崇敬する者多し。
其の後祈願も其の願いに応じ利益少からず、のち住民共之を名づけて世直し石尊と尊称す。すなわち悪風を直し正に帰せしむるが故なり。
住民或は其里に移し鎮守となさんとするものあり、或は相模の国石尊社へ奉納なさんとするものあり、論議の末終に奉納するの議に決せり。因て俄に神輿を作り其内に蔵し、発程方角を占して、各駅村を巡行し、将に奉納なさんとす。同年十二月中旬、近隣誉田村及清戸村へ着せり。夫より浦部村鳥見社に着し、此処に暫時安置し程なく近隣同国相馬郡布佐駅へ奉送せんとせしに、豈図らんや時すでに月迫の故か、同駅に於ては更に受けず引返し、なお亦帰村の上安置す。其夜村吏のもの夢みらく、青衣の老人ニ名、来り曰く「俄等を高西新田鎮守両社の内へ合祭せよ」と言いすて消失せり。
村吏驚きて其夜明くるを待ち、同新田兼帯浦部白幡両村一同集議して、神意に任せ同二年六月ニ十七日右両社境内の凸地の頂に奉納す。
因って年々歳々同日を以て祭る。
(現地掲示板より。太字は筆者)

明和と言えば江戸中期。
ちなみにこの頃日本各地でオーロラが観測されたという珍しい記録が絵図に残されていたりします。(明和七年)
猿猴庵随観図絵 江戸時代オーロラ
猿猴庵随観図絵(国立国会図書館デジタルコレクションより)』

なんとも不思議なことが起こる時代であったようで、
前述のように銚子の海底から二つの青い石が引き上げられました。

その二つの青い石は人々の願いを叶える不思議な力を持った神秘の石であり、里人の崇敬を集めます。
やがて相模国(現在の神奈川県あたり)の石尊社(大山阿夫利神社)へ奉納するか、お社を建てて祀るかという議論が沸き起こります。結論として石尊社へ奉納することとなり各地を巡行しつつ向かうわけですが、その途中で御神託を受けるのです。

青衣の老人二人が村吏の夢に現れ、
「我らを高西新田の鎮守社に合祀せよ」と。

神託の通り鎮守社の境内にある小高い場所に祠を建て奉納したようです。
それがこの阿夫利神社ということになります。

おそらく合祀後に石尊社を勧請し「阿夫利神社」という名前に変わったのでしょう。
もとの鎮守社がどのように呼ばれていたのかは不明です。
「鎮守両社」とあることから境内の稲荷神社ともう一つ何かを合わせて鎮守の社としていたのかもしれません。

ちなみにここは「高西新田」という地名から見てもわかるように、江戸中期に新田として開発された土地です。
享保の改革に端を発する新田開発の一環として開拓され、明和五年(1768)の新田検地により高請されました。

不思議な青い石が引き上げられたのが明和元年と言いますからちょうどその頃ですね。
なので高西新田字石尊という字名は勧請された石尊社から付けられたのだと考えられます。

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石尊 阿夫利神社

千葉県印西市高西新田にあります。

一の鳥居

木下街道(r59)を走っていると突然大きな鳥居が現れます。
鳥居

鳥居の先に続く道を進んでいくと神社入り口の看板がありました
神社入り口

その先をちょっと下る
参道

参道の階段下へと到着
参道の階段

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階段横には小さな祠と
小さな祠

不動堂らしき建物
不動堂
不動堂内部

反対側の階段横には井戸と小さな祠
井戸と小さな祠

階段を上ると鳥居、その手前に手水舎
鳥居と手水舎

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手水舎
手水舎

正面に拝殿
拝殿

扁額
扁額

御祭神は石凝留命、石裂命、日本武尊、根裂命。
石凝留命は岩戸隠れの際に三種の神器の一つ「八咫鏡」を作った神。

ご挨拶して境内を散策

神楽殿
神楽殿

神輿蔵
神輿蔵

拝殿に向かって右手に稲荷神社
稲荷神社
稲荷神社

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神楽殿の横に小さな祠と由来の説明板
祠と由来の説明板

その裏手に小山があり、鳥居と階段があります
裏手に小山

登っていくと・・・
階段

いくつか社祠がみえてきました
海から引き上げられたという青い石が奉納されている祠。
社祠

おそらく写真中央の祠に納められているのだと思われます。
ただ勝手に開けるわけにもいかないし未確認。

その左の祠には木剣がいくつか奉納されていました。
これは大山阿夫利神社の納太刀に習ったものかな。

納太刀(おさめだち)

源頼朝公は平家打倒のために挙兵するにあたり、当社に太刀を納めたと伝えられています。この事柄は民衆にも広く知られるようになり、人々は競って木刀を納めるようになりました。最初期は小さいものがほとんどでしたが、次第により立派な「粋」な太刀を納めたいとの世相が広がり、大きさや造形に力を入れる人が増えていきました。

大山阿夫利神社より引用)

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その横にも祠と・・・なんだろう?
横にも祠

その他

記念碑など
記念碑

奇祭「梯子立て」

例大祭では神輿を激しく地面に叩きつける「梯子立て」と呼ばれる行事があるのだとか。

梯子立て
(千葉県公式観光情報サイト-まるごとe! ちば-「阿夫利神社 例大祭(梯子立て)」より引用)

画像を引用させてもらいました。写真からも熱気が伝わってくるようです。
毎年7月の最終土曜日、日曜日の例大祭で行われます。

まとめ

木々に囲まれた静かな神社。

昔から「浦部の石尊」として有名だったそうです。

残念ながら伝説の二つの青い石を見ることはできませんでした。
見れるものなら見てみたいけど・・・まぁ難しいよね。(^^;

興味のある方は是非。

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