意識、心とは何か 〜意識という肉体の自称操縦者〜

戯言
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こんな事があった。

ある晩、夕食を食べていた時の事です。
その日は色々と忙しく、腹ぺこ状態で夕飯の準備をし、食べ始めていました。
TVを観ながらお椀を手に取り、みそ汁を飲もうとした瞬間ビックリする事が起きたのです。

起きた、というのは正確じゃないかもしれない。
”起きた事”に驚いたのです。

左手に持ったお椀を、左手が、傾けて、みそ汁を、開けた口の中に流し込んだのです。

・・・あたりまえ?

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意識に対する考察

端から見たら極々普通の行動に見えます。
だけれども自分の中の”意識”はたいそう驚くことになるのです。

なぜならばその行動を”意識的に行っていない事”に気がついたからでした。
まるで何か他人の手がみそ汁を流し込んでいるかのように。

一瞬のどの奥を閉めて流れ込んでくるその液体を拒否しようかとも考えました。
あくまでも瞬間的な感覚ですが、そう感じていたのです。

このような無意識に行う行動は日常にあふれています。
というより、殆どの日常的行動はそうなされているのだろうと思う。

でもその時は違いました。
あきらかに”意識”が遅れをとっていたのです。

・・・どういうことなんだろうか。

動かしているものはなに?

例えるならば、意識というのは車(またはバイクなどの”自動車”、内燃機関を伴った乗り物)における、運転者のような気がしてならないのです。

どういうことか。

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似ていると思うのです。
例えば自動車を運転する人の中で勘違いしている人はいないでしょうか。
”自分でその車を動かしている”と。
そう思い込んではいないでしょうか。

え?そうじゃないの?何言ってるの?
と思った人。ちょっと待ってほしい。

本当にあなたがその自動車を動かしているんですか?

実際はガソリンや空気という燃料じゃないですか?
あるいはそれを使って回るエンジンではないですか?

いくらあなたが頑張ったって力強くハンドルを握りしめたって、ガソリンが無ければエンジンは回せません。
エンジンが回らなきゃその動力は伝えられず、結果タイヤも回らず、前に進む事はできません。

つまり、あなたがその自動車を動かしている訳では無い、
あなたはその自動車の中にいて、動かされている存在に過ぎないのです。(コントロールはしていますけどね)

こんな単純なことすら人は時として忘れてしまう。

まぁそれこそが人間の特徴でもあり愛すべき所、のような気もするのですがそれはさて置き、
我々人間の体もその燃料は食べ物、水分、空気(酸素)とかでしょう。
太陽光なんかも含まれるかもしれない。日光浴しないとビタミンDなんかはうまく作れないとも聞くし。

いずれにせよそういった”燃料”とも言うべきものを取り込む事で肉体は動いている。
決して”意識”によって動かされている訳ではない。

エネルギー不足で動かない極限の飢餓状態にある肉体を、
いくら意識で強く命令しようが動かせないだろうことは容易に想像できます。

夢の中の不思議、その理由を知ってますか?

はたまたある時、こんな事もありました。

皆さんは夢の中で空を飛んだという経験はないでしょうか。

あるいは自宅のドアを開けたら職場だったり、3階にいたはずなのに扉を開けたら1階だったり屋上だったり。

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つまり現実に考えたら起こりえない事が起こる状況。不思議ですよね。なのに気づけない。
まぁそれ故に”夢”というのでしょうけど。

でもある時なんとなく分かったんです、その理由が。

不思議が不思議じゃない理由

それはある朝目覚めたときの事でした。

そのときは目を開けるよりも少し前に覚醒しかけていたのだと思います。
うつらうつらしながらふと目を開けた時、はたしてそこにはいつも出かける際に背負うバッグがありました。

そしてそれを目にした瞬間、その視覚的な情報がもたらされた瞬間、
自分の中のどこかでスイッチを切り替える音を聞いたのです。

その瞬間に「前提、条件、常識」を「現実の世界」のものに合わせた自分が居ました。

・・・理解してもらえるでしょうか。

例えばちょっと考えてみてほしい。

職場で仕事をしている完全仕事モードの自分と、自宅にいてオフってる自分はおなじ状態でしょうか。
話すトーンひとつとっても違いませんか?

つまりその状況に合わせた認識や行動、受け取り方をしている訳です。
端的に言えばその環境に合わせているんです、あなたの中にあるその”意識”が。
辻褄を合わせるように、無理の無いように、感覚器官から得たフィードバックやそこから生じる認識を、解釈を。

そう感じた時、夢の中で何故あぁも不可思議な事が起こり、そしてそれを自分が苦もなく受け入れているのかを、ほんの少しだけ理解できました。

夢の中ですよ?重力(世間的お約束)なんていう堅物から解放されて空を飛んでみたって良いじゃない。(笑

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そして結論

結論としてはまぁ・・・だから何だって言うんだ、って話ですけどね。(^^;

でも不思議じゃないですか?自分という存在そのものが。

ちなみに、宗教とかそいうの関係ないですから。
むしろ宗教とか偏狭な価値観に縛られて自由に発想できない、自分を発見できない人や考え方は嫌いです。
最近のあの自称ナントカ国とか言っちゃってる単に幼稚で盆暗なテロ集団とかはねぇ、アホちゃうかと。
あんな馬鹿どもをみて、自分が信じている”神”とやらに対してむしろ疑問が生じないんだろうか、その他も含めた「宗教的」な人たちは。

だって考えてもみてくださいよ。

「神を信じる!」ってのと、「神なんて信じない!」てのは、
結局どっちも「信じたいもの(その考え方)を信じている」だけじゃないですか。

信じる人は「神様が”いる”」と信じている。
信じない人は「神様なんて”居ない”」ということを信じている。

実はそれだけなんですよ。そう思いません?

故に興味が湧き出てくるんです、そもそもそう考える”自分という意識”って何なのかと。

皆様はどうお考えでしょうか。

【 追記@後日 】
・・・またやっちまった。orz
酔っぱらいの他愛無い戯れ言ですのであしからず。

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