【不老不死】八百比丘尼伝説の残る風早神社へ 千葉ツーリング散歩

風早神社バイク(2輪もろもろ)
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千葉県の伝説・伝承について調べていたところ、
不老不死伝説にまつわる神社が松戸市にあると聞き、先日行ってきました。

正確に言うと、まつわる、という程でもなく・・・
伝わっているのは話だけで目に見える形では何もないと言う・・・
かなり曖昧な感じは否めないのですが、一応足を運んでみました。

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八百比丘尼伝説

八百比丘尼って聞いた事あります?別称で白比丘尼とも。
比丘尼(びくに)というのは出家した女性のこと、つまり尼さん。
簡単に言うと人魚の肉を口にしたことで非常な長寿を得、齢800まで生きたと言う全国に伝承の残る尼さんのお話です。

八百比丘尼の話 ★上本郷の七不思議(1)

むかし、風早神社の前の六軒新田(現在の上本郷駅周辺)に住む村人6人が、長者の屋敷で行われる庚申講(こうしんこう)に招かれました。ところが一人が、「今夜のご馳走に人魚の料理が出る!」と言う話を聞いてきました。そこで、皆で相談をして、「料理は食べずに持って帰り、途中で捨てよう。」と言う事になったのですが、6人のうち1人は耳が遠く、話がよく分かっていなかったので、人魚の料理を捨てずに、自分の娘に食べさせてしまいました。その娘は、不思議な力を持つ人魚を食べたので、800年も長生きし、比丘尼となって若狭の国(福井県)に住んだと言う事です。後に、松戸の千駄堀の村人が若狭に旅に出た時、この年老いた比丘尼に会ったそうです。

(松戸市HP まつどの観光・魅力・文化より引用)

この話では後に年老いていたようですが、
諸処の伝説ではその見た目は15,6歳の若い女性のようだったともいいます。肉を食べた時の年齢のままなんでしょうね。

さらに中世室町時代の記録『康富記』や『臥雲日件録』には八百比丘尼が上京したと言う記述が残されているのだとか。
ただその時は見せ物として見物料が取られたようで、伝説を利用した興行のようなものだったという説が有力なようです。
昔の蛇女みたいな感じですかね。

シャー!

・・・一度も見た事はありませんが。

風早神社へ

鎌倉幕府の創立に大きな役割を果した千葉常胤(平将門の子孫)の孫で、風早庄(松戸市域北部、流山市域南部、埼玉県三郷市域にまたがる荘園)の地頭だった風早四郎胤康の屋館跡と伝えられています。

戦国時代には、庄内の祭神を一か所に勧請した風早庄の総代社として、小金城主高城氏より三百石相当の社地を受領し、天正19年(1591年)には、家康より社領五石を寄進され、江戸時代には、朱印高五石を受け幕末に至っています。

(松戸市HPより引用)

ということで、話に登場した風早神社へ。

風早神社前
さくさくっと到着。
駐車場がなかったので神社の前にあった神社敷地と思わしき空き地に停めました。

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標
神社の前には「風早神社の獅子舞」と書かれた標。
市の文化財となっているようです。

参道入口
参道入口 正面

狛犬
なにやら格好良い狛犬がお出迎え。
鳥居の両側にあります。

鳥居正面
鳥居正面から。

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橿原神宮石祠
境内にあった「橿原神宮」と書かれた石碑(石祠)

あまり目にしない名前だったのでググった。

記紀において初代天皇とされている神武天皇を祀るため、神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされるこの地に、橿原神宮創建の民間有志の請願に感銘を受けた明治天皇により、1890年(明治23年)4月2日に官幣大社として創建された。

(wikipedia 橿原神宮より引用)

近代の創建ではあるものの、奈良県内では春日大社と並んで初詣の参拝者数が多い神社である、とのこと。

ほぇ〜

境内
境内の様子

風早神社 拝殿
風早神社 拝殿
村の神社って感じ。こういう素朴な感じ好き。

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本殿
本殿 横から

境内社のお稲荷さん
お稲荷さん
隣には境内社のお稲荷さん

お供え物
水がお供えしてあった
そしてドングリ。何故?

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摂社
摂社とミニ狛犬

まとめ

残念ながら八百比丘尼に関するものは見受けられませんでした。
静かな村の神社って感じ。

逆にそれで良いのかな?
無理に観光地化するように石像とか建て始めるのも・・・ねぇ。

それにしてもなぜ八百比丘尼伝説がこの地に残されたのか不思議。
神社自体の由縁とも関係なさそうだし。

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