【酒々井町】酒の井戸!?名称由来にまつわる酒の井の碑へ 千葉ツーリング散歩

酒の井の碑へバイク(2輪もろもろ)
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前回、湧き水が綺麗な事からその名がついたと言う白井市の話をご紹介しました。

【名称由来】白井は知る井?市名にまつわる「みたらしの池」へ
千葉県北部はその昔「下総国(しもうさのくに)」と呼ばれていました。 質の良い麻が採れたらしく、麻の古語である「総(ふさ)」から「総の国」となったのだと言います。 麻賀多神社という珍しい名前の神社も印旛沼周辺にのみ存在し・・・ って...

今回はなんと清水どころかお酒が湧いた(!)と言う伝承をもつ酒々井町へ。

そんな場所があるなら一度は行ってみたいじゃないですか。

ちなみに酒々井(しすい)町と読みます。
難読地名としてたまに出てきますね。

さてさて、万が一があるかもしれない、
ペットボトルをひそかに携え、心躍らせながら向かいました。

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「酒の井」伝説

『昔むかし、印旛沼の近くの村に年老いた父親と孝行息子が住んでおった。父親はたいそう酒好きでな、親思いの息子は毎日一生懸命働いて父親に酒を買っていたんじゃ。ところがある日、どうしても酒を買う金がつくれずに、とぼとぼと歩いて家に帰ろうとしていた。その時、道端の井戸から何とも良い香りが「ぷうん」としてきた。井戸の水をくんでなめてみると、それは本物の酒だったんじゃ。さっそく帰って父親に飲ませると、「こりゃうまい酒だ。ありがたい、ありがたい」とたいそう喜んだ。息子はそれから毎日、毎日井戸から酒をくんで飲ませたんじゃ。ところがこの酒は、親子以外の人が飲むと、ただの水になってしまうんじゃな。「きっと、孝行息子の真心が天に通じたに違いない」とみんながほめたたえた。この酒の話しが広まり、村もいつか「酒々井」と呼ばれるようになったということじゃ。』

酒々井町 町名の由来より引用)

なんか子供の頃に聞いたような気がします。

似たような話は日本各地にもあるようで、
福島、福井、鹿児島などにもあり、岐阜にある養老の滝は有名。

そう言えば千葉県にも養老渓谷があるではないか!
・・・と思って色々探してみたけれど、酒に関する伝承は見つからなかった。

そこに流れる養老川は、一説にはひざの裏を表す古語の「膕(よほろ)」という言葉から来ていると言う。
それに「与保呂」、「用路川」、「勇露川」などの字が当てられ、江戸時代以降において「養老」という字が当てられたのだとか。

つまり川の名前から来ているのであって、湧き水ならぬ湧き酒の伝承はない模様。
ちょっと残念。

ちなみに養老伝説の初出は続日本紀。
不思議な霊泉と養老改元の話がネタ元のようです。それに関しては同じく養老伝説にまつわるスポット「松戸の子和清水」にまとめてあります。

【養老伝説】子和清水(松戸市)へ 千葉ツーリング散歩
以前、「酒の井」伝説が伝わる酒々井町の石碑と井戸跡を紹介しました。 いわゆる養老伝説ですね。養老の滝といえば聞き馴染みあるかな。 伝説発祥の岐阜が最も有名ですが全国的に伝えられており、千葉県にもそんな場所があるんです...

ま、それはさておき酒々井町の話へ。

「酒々井」の由来

「酒の井」伝説は酒々井区の円福院神宮寺[えんぷくいんじんぐうじ]に伝わる「孝子酒泉[こうししゅせん]」、「地名由来」、「伝承碑」伝説の3つからなる珍しい伝説です。

「孝子酒泉」伝説は鎌倉時代に武士の子弟の教科書である『十訓抄[じっきんしょう]』に書かれている養老の滝説話が広まったとされています。酒の井伝説では「親子ともに酒」であり「酒」の部分が強調されています。また自然の湧水[わきみず]ではなく集落の井戸となっています。

鎌倉時代の後期に武士の子弟[してい]に学問を教えた僧侶を通じて「孝子酒泉」の説話がこの地に流布[るふ]されると、鎮守[ちんじゅ]である麻賀多[まかた]神社の御神酒[おみき]を造っていた円福院神宮寺の井戸が酒泉とされ「酒の井」伝説が成立したのでしょう。

酒の井が地名の由来となったと伝わりますが古くから地名は縁起[えんぎ]の良い漢字二文字を使う「好字[こうじ]二文字」で名づけるのが習わしで三文字の地名はあまり例を見ません。おそらく印旛沼に面したこの土地は涌水の井戸が多く、「しゅすい(出水)」と呼ばれていて、文字には音(おん)が同じで豊かさを表す「酒(しゅ)」をあて、豊かさが繰り返すよう酒の文字を重ねて「酒酒井(酒々井)」と書いたのでしょう。十五世紀には「須々井」と書かれたことがありますが十六世紀以後は「酒々井」と書かれ、読みは「シュスイ・ススイ」となっています。

さらに室町時代のはじめに、この神宮寺に幾つかの板碑[いたび](板石塔婆)が有力者により造られましたが、いつしか板碑は忘れ去られました。江戸時代となり、寺は小さくなり井戸も埋まりましたが、傍らの板碑が伝説を記念する「酒の井の碑」であると語られるようになりました。そして江戸末期に国学者たちが古い書物に書かれた「盃の井」場所こそ酒々井の「酒の井」であるとして紹介したことから広く知られる伝説になりました。

酒々井町 酒々井風土記より引用)

麻賀多神社の御神酒のくだりは、養老伝説がローカライズされて定着した好例と言えるかもしれません。

また、江戸時代後期に著された『下総名勝図絵』にも「盃の井」として記述されています。
下総名勝図絵
(国立国会図書館デジタルコレクション 房総叢書:紀元二千六百年記念.第8巻 紀行及日記 内 下総名勝図絵 コマ45より)

盃の井

印旛郡酒々井町にあり。酒々井山圓福寺の庭に盃の井の跡とて古き碑立ちてあれど、今は其の文字も消えてわからず。昔、此の井より醸泉湧き出でしといふ。酒々井村酒井山と名づけたるは、此の故なりとぞ。

(『下総名勝図絵』より一部引用)

昔から知られていたんですね。

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酒の井の碑へ

石碑は元々お寺の境内であった場所に置かれています。
r137から入るのですが、入口に向かう道は狭くバイクでも容易に入れません。

なので酒々井小学校の方へ。
門の前の小さな道から入って縫うように走り、目的の場所に到着です。

一応r137からの写真を載せてみます。
県道から
車止めのようなものがあり、入れません。

ミラーの影に隠れて見落としそうですが標識もありました。
標識

到着です。
入口

かつてはお寺だったので一応表札を掲げているようです。
表札
ですが現在、敷地内にお寺は建っていません。名前を残すのみです。

中央正面に件の石碑が置かれていました。
酒の井の碑

かなり風化しており、ほとんど判読不能。
石碑

この碑は下総式板碑といわれ、鎌倉時代から室町時代に盛行した供養碑であります。
碑面をよくみると、蓮花と梵字キリーク(阿弥陀如来種子)があります。

(現地看板より一部引用)

なんと衝撃の事実が発覚!お寺に良くある供養碑だったようです。
彫られていたのは阿弥陀如来の梵字で、
正確には「酒の井の碑」ではなかったのですね。

でもまぁはっきりとは読めないし・・・伝承どおりそういうことにしておきましょう。
その方が良い。

当時の井戸は現存していませんが、レプリカとして井戸が再現されています。
酒の井戸

ボタンを押せば音声案内がながれるそうです。
押しませんでしたが。(^^;

井戸の中
井戸内部

東屋
東屋

公園として利用されているようで、小さな東屋や花壇が作られ、水仙などの花が植えられています。

また、隣接した地には古い墓や庚申塚のようなものなどが置かれていました。
古いお墓など

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酒の井の碑まとめ

実はこの日は下見感覚で訪れました。
夕刻も迫っていてまた改めて来ようと思っていたのです。

一応写真を撮っていると、近所のおっちゃんが声をかけてきてくれました。
ご近所の方で夕方の散歩コースなのだそうです。

「この前そこの柵を直したんだよ」
「そうなんですね」
「でもそうするとあっちもこっちも直したいところが出てくるんだ(笑」
「はは、わかります(笑」
「だからまた今度作業する事が決まってね〜」

なんて話をし、
しだれ桜が咲く頃にまた来ます〜ってお別れしたんですけどね。

先日改めて行ったら、なんとその作業日にあたっちゃったみたい。(´・ω・`)

なんか皆さん急がしそうに作業してはるし・・・・

邪魔しちゃ悪いんで次の目的地に向かいました。

でもご近所さんが皆で協力して大事にしている姿が見えて、なんか嬉しくなりました。
自分はぜんぜん関係ないんですけどね。(笑

カンカンムロ横穴群

酒の井の碑の近くに、これまた面白そうな所がありまして。
ついでに行ってみました。

むかし、厳島山の近所に住む若者が、結婚式を迎えようとしていたが、式に使うお椀やお膳が借りられず困っていた。
若者が厳島山の弁天様にお願いしていると「ほら穴」から「望みをかなえよう」との声がした。若者はその前に立ち「お椀とお膳を貸してください」と柏手を打つと「ほら穴」から「翌朝、取りに来い」との声がした。
声のとおり若者が取りに行くと「ほら穴」の前にお椀とお膳が置いてあった。若者は結婚式が終わると借りたお椀とお膳を返した。
このことが評判となり、借りる者が増えていったが、ある男が蔵に隠して返さずにいた。ところがいつの間にか、蔵に隠したお椀とお膳は消えてしまったという。
それからというもの、いくらお願いしても品物が出てくることは無く、柏手の音が「カンカン」と「ほら穴」にひびくだけでした。
そののち「ほら穴」は「カンカンムロ」と呼ばれるようになりました。

酒々井町 酒々井風土記より引用)

これまた子供の頃聞いた昔話です。

そんな伝承の残る横穴があるらしいのです。

で、早速向かってみたんですが・・・

田んぼが広がるのどかな光景
あぜ道

その道の横に看板らしきものを発見
看板発見
どうやらここのようです。

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入って行くと看板と朽ち果てた立て札が。
看板と立て札

酒々井町指定記念物
カンカンムロ横穴群

新堀地区厳島山の北西部、大佐倉方面に向かって半島状に張り出した大地の雑木や篠やぶに覆われた中腹の急斜面にこの横穴群があり、土崩れで埋まったものを含めて七個の横穴がある。通称「カンカンムロ」あるいは「厳島の隠れ里」と呼ばれて椀貸し伝説によって知られていた。
昭和二十二年、国学院大学小出義治氏によって1号横穴が発掘調査された。その報告によると出土遺物は勾玉、直刀、青銅椀、須恵器、人骨などであり、築造年代は七世紀後半か八世紀初頭であろうとのことである。現存する当町唯一の横穴群として町の史跡の指定を受けている。

(現地看板より)

しばらく探してみたのですが、肝心の横穴を見つける事はできませんでした。
カンカンムロ

もう少し上なのかな?
でも簡単に上って行けるような斜面でもありません。
マムシに注意の看板も見かけたし・・・それ以上探すのはやめました。
残念。

双体道祖神

全国的にも珍しい双体の道祖神がこのあたりにはあるそうです。
長野県や群馬県に比較的多いらしいのですが、
ここ酒々井町にも幾つか見られ、しかも千葉県内においてはこの辺りだけなんだとか。
何故当地だけに見られるのか、その由来は不明とのこと。

謎っすなぁ、ロマンすなぁ。

ということで一応幾つか巡ってみました。

本佐倉の双体道祖神

道の脇に置かれています
本佐倉の双体道祖神
本佐倉の双体道祖神

新堀の双体同祖神

線路脇にありました。
新堀の双体同祖神

こちらは祠の中に安置されています。
新堀の双体同祖神

隣の祠にも石仏など
石仏

まとめ

今回は町名の由来にまつわる場所の紹介というより、酒々井町観光という感じになりました。
のんびりと風を感じながら、トコトコお散歩するには凄く良い場所だと思います。

それぞれが結構近くにまとまっているので、色々と巡ってみる事をお勧めします。

他にも国指定史跡の本佐倉城跡なんてところもありました。
ちょろっとだけ寄ってみましたが、機会があれば再訪してレポートしてみたい。
本佐倉城跡

ということで今回は以上!

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