鎌ケ谷大仏、八幡神社、魚分の句碑

鎌ケ谷大仏バイク(2輪もろもろ)
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今回はツーリングスポット、と銘打っていいのか少し悩みます。
というのもこの近辺は気軽に停められる場所も駐車場もありません。

すこし離れたところに駐車場のあるコンビニや大型店舗がありますので、
そちらを利用した上ですこし周辺を散歩・・・という形で見物しに行くのが宜しいかと。

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鎌ケ谷大仏

大仏様は有名なものから無名のものまで全国津々浦々いろいろとあると思います。
奈良の大仏(東大寺)や鎌倉の大仏なんかはすぐに思い浮かぶところ。

千葉県内でも鋸山の大仏(日本寺)なんかは凄く有名ですね。
その大きさは奈良の大仏の2倍以上だとか(!)。

しかしながらそれに勝るとも劣らない大仏様が千葉県にあるのをご存知でしょうか。
それは日本で唯一「大仏」という文字が駅名に入っている「鎌ケ谷大仏」なんです。

鎌ヶ谷大仏(かまがやだいぶつ)は、千葉県鎌ケ谷市にある大仏である。鋳造青銅製で高さ1.80m、台座含めて2.30m。新京成電鉄の鎌ヶ谷大仏駅北口・船橋新京成バス鎌ヶ谷営業所より徒歩1分ほどのところに建立されている。

古くから鎌ヶ谷宿一帯のシンボルとなっており、東側にある千葉県道59号市川印西線(木下街道)と千葉県道57号千葉鎌ケ谷松戸線との交差点名になっているほか、鉄道駅およびバス停留所にも名が使用されている。新京成電鉄が鎌ヶ谷大仏駅まで延長した際に、行楽客を呼び込もうとポスターを張り出したが、実物を見た行楽客があまりの小ささにがっかりしたと言う話が残っている。

(Wikipedia 鎌ヶ谷大仏より)

鎌ヶ谷大仏駅に到着

鎌ケ谷大仏駅

駅前ですがロータリーのような場所がありません。
バスターミナルのようなものはありますが。

すぐ横に踏切があり、前の道路は片側1車線で近くに十字路も存在するため、時間帯によってはかなり混みます。

駅を背にして右方向へ(北北東)90mほど歩くと鎌ケ谷の大仏様があります。交番の隣です。

鎌ケ谷大仏

合掌。(-人-)

もう上の引用でネタバレしてますがこの大仏様、かなり小さめです。

大仏遠景

道路の向かいから。
鋳造青銅製で高さ1.8m、台座含めて2.3mですから車で前を通っても
手前の塀もあってきっと見逃してしまうでしょう。

安永5年(1776年)に、大国屋(福田)文右衛門という人が祖先の供養のため、江戸神田の鋳物師に鋳造させたものらしいです。
個人で作ったというのが凄いね。

房総の魅力500選にも選ばれています。

大仏背後から

背後に回っての一枚。
こうやって約240年もの間、木下街道を行き交う人々を見守ってきたのでしょうか。

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八幡神社

さて、
大仏様を拝見したらせっかくなので駅の横にある八幡神社へも参拝します。

ご由緒は残念ながら記録が四散してしまい、断定できないそうです。
が、古来より兵馬守護の武神として信仰された後、
地域の人々の生活に結びついて勝運繁栄や子育てなどの神として信仰されているそうです。

八幡神社正面
うっかりすると見逃してしまいそうですが、入り口です。

1の鳥居

この参道にはなぜか鳥居が3つありました。
手前が比較的新しく、その奥に(暗くて分かりづらいですが)もう一つ鳥居が見えます。

二の鳥居

二つ目の鳥居。
こちらは随分古めかしい。

狛犬

狛犬。
一部欠けている部分があり、年季の入ったもののようです。

石仏など

石仏など。

百庚申

百庚申。

八幡神社境内に、天保12(1841)~13年にかけて建てられた。青面金剛像が10基あり、その間に文字塔(「庚申塔」)が9基ずつの90基と合わせて100基ある。石塔(石像)を同じ場所に多く造立して、多くの功徳を得るため、100基という多数が建てられたものである。江戸時代後半に下総で流行した信仰形態である。

(鎌ケ谷市 鎌ケ谷市の文化財より)

3の鳥居

3つ目の鳥居。

八幡神社本殿

薄暗い木々の中の参道を抜けた先に、立派な本殿がありました。

たまたまなのかどうかわかりませんが、この日は正面の戸が開いており、ご神体の鏡や祭殿を見る事ができました。

お社

神社敷地内にあったもう一つのお社。

庚申道標

庚申道標。

元は、大仏十字路付近にあった庚申塚上に所在していたもの。中央の1基は寛政7年(1795)に造立されたもので、 側面には 「東 さくら(佐倉)道」 「西 こがね(小金)道」と刻まれており、道標を兼ねていた。

(鎌ケ谷市 鎌ケ谷市の文化財より)

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魚分の句碑

さて、もうひとつついでに魚分の句碑へ。

こちらは大仏からさらに進んで260mほど先、
木下街道から風間街道へと分岐する三叉路にあります。

魚分の句碑

「ひとつ家へ 人を吹き込む 枯野かな 魚文」(銘文)

松尾芭蕉の流れをくむ俳人三級亭魚文が、旅の途中で鎌ケ谷宿を通った時に詠んだ句と思われる。 「明和元年(1764)、武陽産高橋氏建立」とある。木下街道の道標を兼ね、「右 木をろし道」「左 中木戸道」と刻まれている。

木下街道は古くは木下河岸と行徳河岸を結ぶ輸送路として、その後も江戸から鹿島方面への参詣や銚子方面へ向かう人々で賑わい、鎌ケ谷宿にも多くの文人墨客が往来していた。古くは松尾芭蕉が弟子を伴い「かしま紀行」を残している(貞享4年(1678))。また、渡辺崋山は文政8年(1825)に鎌ケ谷宿付近で「四州真景図」の「釜原」を描いている。鎌ケ谷市役所1階ロビーにはこの絵を模した壁画がある。

(鎌ケ谷市 鎌ケ谷市の文化財より)

正直、知らなければ気にもとめずに通り過ぎる自信があります。(笑

昔からよく前を通っていましたが、何かあるな程度の認識で、
そもそも魚文という人も知りませんでした。

まとめ

車やバイクで行くには少し苦労する上に、あまり見応えの無いスポットだと思います。(^^;

それでも日本で唯一、「大仏」が駅名に入っている大仏様に参詣するのはネタ的にも面白いかも。

あと、寄った際にはぜひ名物(?)の大仏コロッケをお試しください。

大仏コロッケ

この日はすでに夕方だった為か、休日だった為かわかりませんが、営業していませんでした。
残念。

ということで今回は以上。

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