妖怪・鵺退治の源三位頼政公 首塚伝説(印西市結縁寺)

バイク(2輪もろもろ)
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下総の地、とある杜の中、
木々に囲まれたその場所に一つの「首塚」がある。

字面からしておどろおどろしい感じもするが
怨念渦巻く・・・といったそんな類のものでは無いらしい。

ある忠臣が主人の生害に際し、
遺言に従ってその御首を携え、東国へと逃れたのちにここへ至り菩提を弔ったものという。

その主人の名は「源頼政
源三位(げんさんみ)」とも呼ばれた平安時代に活躍した源氏の長老であり、
「平気物語」に出てくる妖怪「鵺(ぬえ)」を退治したと伝わる人物である。

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頼政公の首塚(頼政塚)

「頼政塚」と呼ばれる首塚は印西市結縁寺という場所にあります。

掲載写真はiPhoneと一眼レフを併用してるので色味など若干変わることがあります

小さな看板に従い、細い道へと入っていくと
看板

源頼政公の御首が埋葬されたという「頼政塚」です
頼政塚

左手前にはお地蔵さん
お地蔵さん

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正面に目を向けると敷石の道が伸びた先に
巨木とそれらしき囲いがあります
巨木とそれらしき囲い

頼政塚
頼政塚
頼政塚

頼政塚

治承四年(一一八〇)四月、平家打倒に挑んだ源頼政は挙兵に失敗し五月二十五日 宇治平等院の境内で自害したといわれています。この頼政の首を埋めた場所と伝えられているのが頼政塚です。
頼政は、死に際して家臣に「吾が首を持ち東国へ向かっていけ、吾が止まらんと欲する処に行かば、首が重くなって動かなくなろう。そこに塚を築いて首を葬れ」と遺言したとされており、家臣たちは馬に乗って東国へ向かい急に首が重くなり歩けなくなったところと伝えられています。家臣は住僧となり主の菩提を弔ったと言われています。
この塚には糸が供えられていますが、農作業で手首が痛くなった時に、この糸を巻きつけると不思議に治ると言われています。
(現地看板より 太字は筆者)

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向かって左側の碑には「源三位頼政公」との字が見えます
右は風化していてもはや読み取ることはできません
頼政塚 石碑

後ろ側から
後ろ側

この木の枝には黒い紐がかけられています
黒い紐

”農作業で手首が痛くなった時に、この糸を巻きつけると不思議に治ると言われています。”
不思議な習慣です。
ちょっと調べてみると、秋田県のマタギの資料に似たような話を見つけました。

(前略)また「そらで」の予防にもなった。「そらで」とは重いものを持ったり力仕事をしたり田植えをした時などに関節が腫れる症状のことであるが、そうした症状を予防する役割もある。「そらで」の予防には[てうえ]をつけなくても、手首に紐を巻くことでも予防になると言われている。
阿仁マタギ用具 調査報告書 -秋田県公式サイトより引用 太字は筆者)

千葉と秋田とはだいぶ離れていますし、
なにか関係があったというよりは「昔の知恵」的な、全国にあった話なのかもしれませんね。

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源頼政とはどんな人物だったのか

頼政公は平安時代末期の武将にして歌人

源 頼政(みなもと の よりまさ)は、平安時代末期の武将・公卿・歌人。兵庫頭源仲政の長男。清和源氏としては初めて従三位に叙せられた。後世においても、源三位(げんざんみ)の通称が伝わる(同時代的に「源三位」と称された人物は頼政に限らない)。また、父と同じく「馬場」を号とし馬場頼政(ばば の よりまさ)ともいう。

保元の乱と平治の乱で勝者の側に属し、戦後は平氏政権下で源氏の長老として中央政界に留まった。平清盛から信頼され推挙により、晩年には武士としては破格の従三位に昇り公卿に列した。

しかし、平家の専横に不満が高まる中で、後白河天皇の皇子である以仁王と結んで挙兵を計画し、諸国の源氏に平家打倒の令旨を伝えた。計画が露見して準備不足のまま挙兵を余儀なくされ、そのまま平家の追討を受けて宇治平等院の戦いに敗れ自害した(以仁王の挙兵)。
(wikipedia 源頼政 より引用)

そしてその最期、
宇治平等院にて自害する際に遺言を残し、その遺言に従って家臣が東国へ運んだと伝えられています。

実際には御首を埋葬したという首塚は全国に数カ所あり、
茨城県古河市の頼政神社にも同様の伝承があります。

平家物語に伝う「妖怪(鵺)退治」

平家物語のなかにも頼政公の話が出てきます。
かの有名な「妖怪 鵺退治」ですね。

鵺 ぬえ
(所蔵者:国際日本文化研究センター)

ちなみに「鵺退治」とよく言われますが、
「鵺」というのは鳥の一種の名前であって本来は妖怪の名前ではなかったようです。

(前略)
頼政きつと見上げたれば雲の中に怪しき物の姿あり 射損ずるほどならば世にあるべしとも覚えず さりながら矢取つて番ひ 南無八幡大菩薩 と心の内に祈念してよつ引いてひやうと放つ 手応へしてはたと当たる 得たりやをう と矢叫びをこそしてけれ 猪早太つつと寄り落つるところを取つて押さへ柄も拳も通れと続け様に九刀ぞ刺したりける その時上下手々に火を燃やいてこれを御覧じ見給ふに 頭は猿体は狸尾は蛇手足は虎の姿にて鳴く声鵺にぞ似たりける 恐ろしなどもおろかなり
(平家物語より 太字は筆者)

とあるように、

頭は猿(さる)、体は狸(たぬき)、尾は蛇(へび)、手足は虎(とら)に似た妖怪で、
その鳴き声は「鵺(ぬえ)」に似ていると言っています。

似ていただけなんですね。
では「鵺」とは?と調べると「トラツグミ」という種類の鳥ではないかといわれているようです。

ひょうひょうと物悲しく聞こえるような鳴き声です。
いっそ「ガオー」とか「グガー」みたいに鳴いてくれた方が迫力が出たような気もします。(笑

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名馬塚

頼政塚からさほど離れていないところに
御首を運んだ馬の塚もありました。

道の脇
名馬塚

多数の馬頭観音碑などが並べられています
周辺にあったものが置き場所がなくなりここに集められている感じ・・・もする。まぁよくあること。
名馬塚

名馬塚

結縁寺の西南にあたるこの地に頼政の首を運んできた名馬を葬ったといわれる名馬塚です。
以前は、お堂が建てられておりその中に納められていたと伝えられています。塚のそばには、刻像塔や文字塔 の馬頭観音が十数基あります。
(現地看板より)

まとめ

実は頼政公の首塚といわれるものは複数箇所存在しています。

  • 千葉県印西市 結縁寺
  • 茨城県古河市 頼政神社
  • 岐阜県関市 蓮華寺

など。
伝承の内容としては恐らくほぼ同じもの。

というか印西市の話の方がむしろwikiに載っていなかったりする。
・・・どして?

まぁそれはさておき、
訪れた感じとしてはとても静かな印象でした。

よく手入れもされているようですし、
土地の人々に昔から愛されてきたんでしょう。

当初は「首塚」という名前だけで興味を持って行きましたが、
祀られていたのが「源頼政」公で思いのほか大物だったのにびっくりしました。

長くなったのでこの地の名の由来となった結縁寺やその他周辺の紹介は次の記事に分けます。

今回はひとまずここまで。

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