【汝殺すなかれ】おしどり伝説の残る鴛鴦寺(八千代市)へ 千葉ツーリング散歩

鴛鴦寺に行ってみた バイク(2輪もろもろ)
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さてさて今回は「おしどり伝説」が伝えられるその名も鴛鴦寺。
正式名称は池証山正覚院鴛鴦寺。

あちこち行っているとですね、ちと変わった所や謂れ(いわれ)のある場所を探したくなるのです。
そんな中見つけたのが八千代市にあるというこのお寺。

面白そうなので行ってみることにしました。

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おしどり伝説

由緒として語られる「おしどり伝説」とは?
ちょっと調べてみますと、日本各地に伝わる民話のようです。

もともとは下野の国(今の栃木県あたり)にあったお話のようで、
鎌倉時代に書かれた沙石集などの説話集に伝えられている物語です。

まず『沙石集』とは

『沙石集』(しゃせきしゅう / させきしゅう)は、鎌倉時代中期、仮名まじり文で書かれた仏教説話集。十巻、説話の数は150話前後。無住道暁が編纂。弘安2年(1279年)に起筆、同6年(1283年)成立。その後も絶えず加筆され、それぞれの段階で伝本が流布し異本が多い。記述量の多い広本系と、少ない略本系に分類される。

『沙石集』の名義は「沙から金を、石から玉を引き出す」ことをいい、世俗的な事柄によって仏教の要諦を説く意味である。僧侶の立場から経典を多く引用しているが、作者が博識であり好奇心に富んでいるため、単なる説教を脱化して興味津々たる文学作品となっている。

日本・中国・インドの諸国に題材を求め、霊験談・高僧伝から、各地を遊歴した無住自身の見聞を元に書いた諸国の事情、庶民生活の実態、芸能の話、滑稽譚・笑話まで実に多様な内容を持つ。その通俗で軽妙な語り口は、『徒然草』をはじめ、後世の狂言・落語に多大な影響を与えた。

(wikipedia 沙石集より引用)

その中で、

沙石集 第九巻 一四 鶏の子を殺して報ひたる事

にあるとの情報を得、探してみましたが何ぶん異本が多いため調査は難航。
・・・という程ではありませんが、苦労しつついくつか見つけました。

・山形県米沢市立米沢図書館 デジタルライブラリー 沙石集
10冊目/12冊の一四(22ページ)に見る事が出来ます。

・国会図書館デジタルコレクション 沙石集
沙石集 第八 鴛之夢見事 コマ番号4-
こちらは第八巻に掲載されています。

大筋としては、

下野の国、阿曽沼(あそぬま)と言う所に鷹を使う猟師がおり常に殺生をしていた。ある時、狩りの最中におしどりを見つけこれを狩る。
獲物を袋に入れ持ち帰ったその夜、夢の中で(枕元に)女が立ち「何故夫を殺したのか」と恨み深き気色でさめざめと泣き、
「日くるれば 誘いしものをあそ沼の まこもかくれの ひとり寝そうき」と一句を残し去る。
あれはつがいのおしどりであったかと知り、翌朝みれば、果たして雌が雄とくちばしを合わせ死んでいた。
男は自分のした殺生を悔やみ出家する。
(概略 筆者まとめ)

バリエーションは様々あり、
あそ沼(阿蘇、安蘇、阿曽など表記は様々)が赤沼になっていたり、鷹狩りではなく弓矢であったり、猟師ではなく武士だったりする。

また最後の場面では、
「雌の羽の内側には狩る時に撃ち落とした雄の首が抱えられていた」という話や、
「池に戻ってみれば一匹の雌が泳いでおり、近くに来るとおもむろに腹をくちばしで裂いて絶命、池を赤く染めた」というかなり恐ろしげな話まであるようだ。

・・・怖いわっ!

やはりくちばしを合わせて死んでいた、あたりが悲しくもロマンチック。ここは一つそれでよろしくお願いします。(何が?)

あ、ちなみに「おしどり夫婦」って言いますけど・・・

おしどりは毎年相手を変えるんだそうです(笑
しかも寄り添っているのではなく、雌を他の雄に取られたくないからくっついているんだとか。
そのくせ雌が卵生んだら、雄は一切子育てすることなく去っていくんだって。(笑

パネェっす、おしどり先輩。

正覚院鴛鴦寺

正覚院(しょうかくいん)は、千葉県八千代市村上にある真言宗豊山派の寺院。山号は池證山。寺号は鴛鴦寺。本尊は釈迦如来。鴛鴦(おしどり)伝説で知られる寺である。

由緒
保元年間(1156年~1159年)平真円というものが、近くの阿蘇沼と呼ばれる沼でオシドリの雄を射止めた。その夜に雌のオシドリが人間に姿を変えて真円の家を訪れ、歌を残して去っていった。真円は以後殺生を悔い改めて出家し、この寺を立てたと伝えられる。

(wikipedia 正覚院 (八千代市)より引用)

由緒としての話は若干ネタバレとして先に書いてしまいましたが、
仏教説話集はもともと教化するための方便でもあったわけで、そんな話がかつてのこの地の名前に結びついて由緒となり、今に伝えられているのでしょう。

というのも昭和29年(1954年)に八千代市(当時は八千代町)へ編入されるまで、この辺りは「阿蘇村」であったそうです。
大正二年(1913年)に記された『印旛郡誌』にも記述があり、正覚院鴛鴦寺の箇所にも上記の話が由緒として掲載されています。
印旛郡誌 第六 阿蘇村誌
第八章 寺院佛堂誌(五一六頁)
印旛郡誌
(「インターネット公開(保護期間満了)」の為、国会図書館デジタルコレクションより引用)

阿蘇沼」も村上にありと記されていますので(五〇四頁)、この近くにあったのでしょう。

村上」は現在もこの辺りの地名として残っており、同名の駅が近くにあります。
阿蘇」は公民館や学校にその名前を残しているようです。

ちなみに富里町にも同じく鴛鴦伝説のあるお寺があったようですが、今は廃寺となっているそうです。

参道入口に到着
正覚院鴛鴦寺(GoogleMap)
参道入口

一つ前の記事に書いた「七百餘所神社」から1kmほど南に下った所にあります。

七百餘所神社(八千代市)へ寄り道 千葉ツーリング散歩
「七百餘所神社(しちひゃくよしょじんじゃ)」と読むらしい。 八百万(やおよろず)とかの「八百」じゃないんだ、というのが最初の印象。 ちょっと控えめな感じがして面白い。 実はその先に「鴛鴦(おしどり)伝説」の正覚院鴛鴦寺があり、 そこへの道を...

門柱と鐘楼が見えます。
門柱と鐘楼

鐘楼に近づいてみますと、檀家さんから奉納された物のようです
鐘楼

今回思ったのはとにかく境内に物が多い、と言う事。
石像やら何やら所狭しと置いてあります。

どうやら檀家さんの信仰が篤く、色々と寄贈、奉納されているようです。凄い。

駐車場は鐘楼の前を過ぎ、こちらの通路を通った左側にありました。
入口

不適な笑いを浮かべた布袋さんのような像がお迎えしてくれます。
布袋さん?

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ずらっと並ぶお地蔵さんたち。
結構背丈が高いのでちょっとした迫力を感じます。
並ぶお地蔵さん

迫力と言えば仁王像。
仁王像
普通は仁王門の中にいるのでこうして立っているのもある意味すごい。
吽形
阿形

訪れたときはちょうど梅雨時だったので足下には紫陽花。
紫陽花
紫陽花

なんだかモダンな薬師堂
薬師堂

市指定文化財 釈迦堂

釈迦堂に続く場所に設置されている手水舎
これも奉納されたもののようです。
手水舎

市の文化財に指定されている釈迦堂
釈迦堂

釈迦堂横にあった祠の中には・・・
祠

ちょっと不思議な木像があったりもする。
不思議な木像

大師堂や羅漢像(?)なども。
奥には石碑も多く見えます。
大師堂

ベンチに誰か寝ているのかと思いきや寝釈迦像
寝釈迦像

なんだかもう盛りだくさん。

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そんななか見つけました。

鴨鴛塚

石畳の道を進んだ先に・・・
石畳

鴨鴛塚
鴨鴛塚

一応塚が建てられているのですね。

毘沙門天

そして八福神の毘沙門天
毘沙門天
「八千代市」なので吉祥天を加えて七福神ならぬ八福神なんだとか。

市指定文化財 宝篋印塔

こちらも市の文化財です。

釈迦堂の裏山を上って行った先の墓地にあります。
裏山

宝篋印塔
宝篋印塔

本堂

本堂正面
本堂

前には大師像
大師像

日曜日だったからか家族で参拝に訪れている姿を多く見かけました。

まとめ

とりあえず物が多い印象。
石碑から石像からせわしない。
でもその殆どはおそらく檀家さんからの寄贈・奉納されたものでしょうし、それだけ愛されているお寺さんということなのでしょう。
決して不快な感じではありません。

ただ「おしどり伝説感(?)」がもう少しあったら良いのになぁ、と。
・・・そう言われても困るよね。
自分で言っておいて意味分からんもん(笑

なんか紹介だけになっちゃいましたが、とりあえず今回は以上!

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